展覧会のはしご~東京都写真美術館 / NTT Communication Center

今日はのんびり一日空いていたので、お散歩がてら出かけてきました。
久々に、東京都写真美術館にて
「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」
をまずは観てきました。
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どちらの写真も様々なところで見てきた写真ですが、こうしてオリジナルプリント(だと思う)をじっくり見ると本当になにか新たな感動があります。どちらの写真家も、Leicaを使って、という部分が必ず言及されていて、うーん、やっぱりフィルムLeica欲しいなあと改めて憧れてしまいます。どちらもおそらくスナップ写真の大家だという理解でいいのだと思いますが、本当にどうしてああした瞬間を的確に捉えられるのか、感嘆してしまいます。特に木村伊兵衛における人々の生き生きとした表情や生活感、ブレッソンの非常に構築的な美学に支えられた画面構成、どれもとても印象に残りますね。

やはりカタログは押さえざるを得ませんでした(笑)。これだけの内容が2,200円ですからね~。
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その後同時開催だった
「セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ」
にも行ってきたのですが、ちょっとテーマが重くて入り込めませんでした。いくつか印象的な写真もあったけど、ちょっとしんどかったなあ。自分の写真のあり方も、趣味である以上あそこにはない、という言い方もできるんだけど、ね。
ジャーナリズムだと感じました、自分には。

その後新宿へまわり、桂花ラーメンで腹ごしらえをしてICCへ行って参りました。
目的は、
「コープ・ヒンメルブラウ:回帰する未来」
を見るためです。久々だなあ、CoopHimmelb(l)auは卒業旅行でヨーロッパへ行ったとき、オーストリアのトップハウス?を見て感動したのが最初です。いわゆるデコンの定義で当時はやりはじめだった時の最先端だったように思います。
(自分的には、PeterEisennmanに陶酔してましたが。)
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今回は2つの展示で構成されていました。
一つが、アストロバルーン 1969 リヴィジテッド――フィードバック・スペース と呼ばれる展示。
「昨年の第11回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展にて実現されたもの」ということで、観覧者が展示物のインターフェース(ステンレスのパイプ)を両手でつかむと、観覧者の心臓の鼓動がグラフィカルに展示物にトランスレートされる(心拍にあわせた音とフラッシングが起こる)というもの。「雲に似た,透明で光を反射する,浮遊的なスペースとなる」ということだそうですが、正直、ふーん、ぐらいだった。なんというのかな、インスタレーションであればそれまででもいいのだけど、観覧者の心臓の鼓動を空間に変成する論理がよく理解できない。なんか、取得しやすい環境情報を扱っただけにしか思えない部分があって、且つ、なんであんなレトロ感あふれるデザインで視覚的なイメージを固定するのかがよく分からなくて、解釈に苦しんだという感じです。
もう一つが、ブレイン・シティ・ラボというもの。
都市の生成過程、発展・変遷の過程を、生物科学である脳のニューロンの研究成果に結びつけた解釈で新しく分析、再構築するというもの。CGを巧みに使った構成で、展示内容もインタラクションを旨く使って構成されていましたが、正直今ひとつだった。もう少し自分の生物科学への造詣があればまた変わるのかもしれませんが、そもそも都市の生成過程における無秩序と秩序の関係や、過密と疎の影響などがなぜにニューロンなのか、が入り込めない要因なような気がします。都市構成というのは、所詮人類の生産活動である以上、その発想を含め、自然発生的なものはそもそもわずかな影響しかないと思えるのです。逆に無秩序な開発や、演繹的な分析しかアプローチし得ないような都市の解釈に、なぜ進化論的解釈を持ち込むのかが、もう一つ疑問があります。
どうせ都市の生成などはもっと経済的な需要と供給や必然と偶然の産物として考えた方がいいような気がします。おもしろおかしくするにはニューロンだとか道具立てもいいかもしれませんが、もう少し本質的な議論を行うのであれば、アプローチとメソッドに慎重さが欲しい気がします。

ということで、それなりに得るものも考えるものもあったそれぞれの展示会で、いい刺激を得ることができました。やっぱり足を使って情報にはアクセスしないといけませんねえ(笑)。

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