東京都総合設計許可要項の改正 について思うこと(雑感)

都市整備局
最近、標記改正の内容を色々調べてみる業務があったので、情報を集めて、計画の再評価なんかを行っていたのですが、いやまあ、なかなかしんどい改正内容になっているなあ、と感じてちょっとエントリ。
9月から施行されるわけですが、まあ、そもそも総合設計制度なるものが許可案件ですからその内容に様々な基準や価値観があるのは当然としても、ちょっと今回の改正の内容には疑問点や納得しにくい内容も多いような印象があります。
そもそも今回の改正の、主たるポイントと思われる部分は、
・形態規制の強化:境界線からの離隔距離の厳格化
・公開空地算定基準の厳格運用
・制度設計の移行:空地面積の総量的判断から、環境配慮・建物の質的向上へのインセンティブの移行
という感じだと思います。
まあ、それはそれで現状の状況や、今後の社会情勢・経済情勢を鑑みた対応としてあり得る判断だとは思いますが、それがちゃんと新たなる都市環境整備にちゃんと寄与する、そして社会に良質なストックを増加させる基準として行政が機能するかどうかという慎重な議論が行われているのか、という辺りが問題です。

まず、形態規制の内容ですが、コレはもう単純に敷地境界からの離隔について、
・隣地境界線からは、従来の√2/Hに、無条件に2mをプラスする、というもの。さらに開口部の落下物危険防止措置は一切勘案しない、という内容。
離隔距離の確保はまだしも、危険物措置を講じるかどうかについて、容赦がない部分はかなり疑問ですね。
そもそも隣地境界線側、というのは、いろいろな意味で「死に地」になりやすい、都心の貴重なスペースとして非常に無駄になりやすい部分。
その部分をいかに有効に活用するか、または、都市インフラとして社会財産に寄与させるか、というのが本来は重要な部分であるはずで、それを単に「離隔があるから」とか、隣地建物と離れているから、といった全く知性も理性もない、単なる訴訟対策みたいなカタチで飽和させようとするのは、うーん、行政の怠慢としか思えないなあ。
そもそも総合設計制度などというものを用いて、建築物の制限緩和を許可するわけですから、もともと政治的または、行政による意向や判断が恣意的に現れる部分があっても、ある意味は地域限定的な価値観として、許されるまたはしかるべき部分があるはずです。制度設計としてはそれが大方針として行政単位としてしっかり表れる基準となるべきで、ソレがあって初めて個々の案件の評価や方針が定まる、という、まあ今回の話に限らない至極当たり前な論議になるはずなのです。
許可を与えて制限を緩和するわけですから、その部分で地域のリーディングプランとなるような要求を求めても、良識の範囲内ならいいはずで、というかソレが必要なはずで、それがあるからこそそうした計画や許可の社会的な意義もあるという中で、単に許可制度の怠慢でこうしたものがある意味乱用され、ある意味殺されていくのは本当に忍びないですね。
そもそも論として総合設計制度の是非みたいなものはあると思います。でも必要悪な部分もあるかもしれないけど、こうした制度は性善説的なものも含めやはり可能性として存在するべきもので、そうした仕分け的に無駄と思えるようなものを、いかに行政がしっかりした価値観と根拠で活用していくか、というものが今後より問われる時代だと感じられる矢先にこの程度の判断力しかないというのは寂しいかぎりです。

隣地の話ですが、たとえばそもそも日本の都市行政の問題点として常々個人的に思うのは、都市における空間のコミュニティーが存在しない、または大変に希薄なこと。これは、どのスケールの建物でも起こっている問題だと感じているのですが、たとえばマンションの隣室、住宅のお隣さん同士、街区のビル同士、何でもいいですけど、空間が協調して成り立っている場所が、日本の場合凄く少ないというのに、大変寂しさを感じます。少しずつお互いが協力すれば、住空間のみならず共用空間でさえ、もっと豊になるのにそれが出来ない、日本人的民俗感がやはり文化的に様々問題だと思うのです。そうした部分の改善にこうした制度を用いて、行政の意向を上手くリードするようなきっかけにすればいいのに、と常々思うのですよね。カーボンマイナスみたいな制度設計にのみ活用するのでなく、新しい都市空間、生活空間のあり方みたいなものを根付かせるまたは試行する為でも構わない、民間のアイディアを上手く引き出して活用するカタチでももちろんオッケー、そうした絶えず新しい何かを生み出すための投資的余地、としてこうした制度を活用してもらいたいんですよね。そうした中で隣地の問題、つまり道路側・通路側から視認されない死に地の問題を、もっと都市政策として総合的に、協調的に解決する手段や方法を、制度や方針の中で表現する努力をしてもらいたいと思うのです。
もし、隣地側の死に地が発生するようなあまり道路付けのよくない敷地であれば、ピロティの制限や貫通通路の考え方を柔軟にし、逆に道路から離れた閑静なスポットとしてそうした場所の価値を高める、とか、商業利用する場合にはインセンティブを与えるとか、都市政策の中で忘れられやすく、失われていく貴重な財産を、国家や、行政の成長や活力の向上、若い人へのチャンスや事業者育成の場として積極的に評価するような姿勢を見せて欲しいですよね。また、先ほどから協調という表現を使っていますが、隣地=裏という発想や計画を捨てさせるような、極論すれば、隣地こそ表舞台のような空間設計をさせるような、そんな政策や制度、方針を打ち出し、都市全体の貴重な財産を余すところ無く使うような制度を設計し、それを許認可案件として、しかるべき評価をしながら都市行政に生かし、結果良質な社会ストックの総量を増加させる、そうした意気込みを見せて欲しいですよね。それこそ、優秀な人材が集まる行政フィールドのなせる技、義務では無いでしょうか。協調の一端として、隣地同士の事業者間で、ある種の合意を元に隣地側の一定量の敷地を共同で設計すれば、その部分で税制上のインセンティブを与えるとか、隣地間の空間設計に、もっとアクティブな要素を必要とする許可条項を盛り込むとか、離隔だけではない何かがあるはずです。計画上の縛りは土地売買を含め様々な制約もあるでしょうが、集団規定の許可とは別に経済的なインセンティブであれば、事業者が変わって新に合意を結ぶ場合でも、都市計画的な緩和に矛盾を発生させずに移行させることも可能かと思います。そうしたことが部署横断的に出来るかどうかが、今後の日本経済再生にも大きく繋がるのではないでしょうか。

公開空地の計算算定における制度運用の厳格化ですが、これはまあ、致し方ないというか、ある意味当然かなあ、という気がします。ただ本当に重要な部分にはしっかり係数を与える、また、係数の設計において一律割引で次に考える制度設計移行への足がかりにしか使わないのではなく、しっかりと係数設計を元にして、設計者・事業者に計画上のポイントを認識させる、行政側の意向をしっかり理解させるものにして欲しいと思います。係数設計そのものも、隣地側の考え同様、様々な移行や方針を表現しうる武器となるはずですから、そうした制度活用の意義や価値をも一度慎重に議論してもらいたいと思います。

さて、そうしたことを踏まえた制度設計の移行によるインセンティブの変化ですが、どうも既に長くなっているので、この辺でエントリを分けます:-)

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